長いこと
たくさんの動物たちと
暮らしている私には
毎日が
誰かの誕生日で
毎日が
誰かの命日・・・
そもそも
今日がいつかもわからない私は
うっかり
忘れることも多いし
誕生日は
わからない子も多いから
『おはよう!』・・・と共に
『お誕生日おめでとう!』
・・・を言っています。
供養は
毎月28日
お不動さんのご縁日に
広島本部内にある
自坊
安芸高野山・妙光院にて
健空阿闍梨が執り行い
私も可能な限り
一緒に読経しています。
私は弱い人間だから
亡くなった子の話になると
すぐにビ〜ビ〜泣くし
現実逃避したいんでしょうね
亡くなった子の
《年を数えること》が
超・苦手なんですよね・・・
・・・だから
合同供養というやり方が
私にはちょうどええのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今朝
延岡にいる私に
朝早くにセオクミから
「マリーちゃんの命日ですね」
・・・と連絡が来ました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私が
マリーを初めて見たのは
2011年3月
福島原発が爆発した2週間後
マリーは
福島原発のすぐそばの
広大な梨園にいました。
マリーは
見た瞬間に
気性難だとわかるほど
気の強い馬でした。
梨園だから青草も
じゅうぶんに生えて
食べ物には
困らない感じでしたが
飲水はありませんでした。
私たちは20Lの容器に
飲水を入れて
マリーの元へ
通うようになりました。
マリーが
蹄葉炎に冒されていると気づきました。
蹄葉炎は治りません。
それでも
ええ感じで暑い夏も越し
『このまま
この梨園におればええ』
・・・と思っていた
2011年12月
時の政権
民主党内の衆議院議員の中に
《マリーを実験動物に回したいヤツ》
・・・が現れました。
今さら・・・
今さら殺すの???
なんの実験?
なんの意味があって?
おかしい日本!
おかしい政治家!
そいつらは
1期生2期生のぺ〜ぺ〜議員
政治家とも呼べないぐらい
頭の悪い勘違い野郎!
・・・だけど
・・・だけど
時の政権は
とてつもなく強く
結局は
農水官僚たちも動き
マリーの引き渡し日が
決まってしまいました。
私は考えに考えて
作戦を立てました。
そして
《引き渡し》の2日前
マリーは
犬猫みなしご救援隊
栃木拠点にやって来ました♪
仮にマリーが
被爆していたとしても
マリーが死ぬ日は
マリーが決めるんじゃ!
な〜んて
カッコいいことを言っても
私は時の政権
与党民主党に歯向かったわけだから
そうそう簡単には
許しちゃ〜もらえんですよね(笑)
広島の
田舎のオバチャンの前には
いろんな人が現れて
映画が1本撮れるぐらい
攻められました(笑)
・・・が
私には
ヒマな政治屋の思惑に
左右されているヒマはなく
福島原発エリアには
まだまだ
助け出すべき犬や猫は
たくさんいたし
マリーのヒヅメも気になるし
すぐに美濃輪先生に
レントゲンを撮ってもらいました。
ヒヅメが伸び切っていた
マリーは
やはり蹄葉炎だと診断され
やはり治らない・・・と
8年間
削蹄師の佐藤さんには
本当に
お世話になりました。
暴れ馬のマリーのために
広島本部にも
通って来てもらってましたもんねぇ・・・
マリーは
山羊たちのお姉さん的存在でね
山羊たちには優しかったです。
農水省も毎年
チェックに来てました。
農水省が
チェックに来ていたのは
線量が高い場所にいた
マリーの
身体の変化が知りたかったから
・・・ではなく
私がマリーを
《馬肉》として売らないように
見張ることが目的だったのです(笑)
それは
それは
ご苦労なこっちゃ!
マリーの体から
放射線物質が放出されたのは
栃木拠点に来て
わすが1ヶ月のことでした♪
圏内から連れ出して
たった1ヶ月で
体内から
放射線物質が放出されるなら
圏内にいた大動物たちも
全員そうすれば良かった!
まったく
殺す必要はなかったじゃん!
バカすぎる!
当時の民主党の政治屋たち
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
マリーにも
死が近づいてきました。
今しかない!
・・・と思い
マリーを
環境のよい栃木拠点に
連れて帰りました。
もちろん
山羊たちもみんな一緒に・・・
食べても太らなくなり
持ちこたえてきた
蹄葉炎も悪化し始めました。
それでも
マリーは死ぬ日まで
自分のチカラで生き抜きました。
2019年9月23日
マリー永眠
私と田原くんは
新幹線で
広島本部から駆けつけました。
その日の夜は
大きな月が出ていました。
本来なら
寂しくて寂しくて
しかたのない夜でしたが
私は
それどころじゃない状況
生後2ヶ月の
ひろしです。
目を離すと大変!
ちょうど
今の猫舎を建設中で
新幹線の私たちには
みなしごバスもなく
栃木拠点の倉庫で寝ました。
あの時は
ひろしに救われたなぁ・・・
あの時
ひろしが居なかったら
私はマリーの死に
押し潰されていたかも知れん
今日も今日とて
かわいいひろし
今日は延岡でTNR一斉
ひろしにとっては
凱旋帰郷♪
たくさんの動物たちと
暮らしている私には
毎日が
誰かの誕生日で
毎日が
誰かの命日・・・
そもそも
今日がいつかもわからない私は
うっかり
忘れることも多いし
誕生日は
わからない子も多いから
『おはよう!』・・・と共に
『お誕生日おめでとう!』
・・・を言っています。
供養は
毎月28日
お不動さんのご縁日に
広島本部内にある
自坊
安芸高野山・妙光院にて
健空阿闍梨が執り行い
私も可能な限り
一緒に読経しています。
私は弱い人間だから
亡くなった子の話になると
すぐにビ〜ビ〜泣くし
現実逃避したいんでしょうね
亡くなった子の
《年を数えること》が
超・苦手なんですよね・・・
・・・だから
合同供養というやり方が
私にはちょうどええのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今朝
延岡にいる私に
朝早くにセオクミから
「マリーちゃんの命日ですね」
・・・と連絡が来ました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私が
マリーを初めて見たのは
2011年3月
福島原発が爆発した2週間後
マリーは
福島原発のすぐそばの
広大な梨園にいました。
マリーは
見た瞬間に
気性難だとわかるほど
気の強い馬でした。
梨園だから青草も
じゅうぶんに生えて
食べ物には
困らない感じでしたが
飲水はありませんでした。
私たちは20Lの容器に
飲水を入れて
マリーの元へ
通うようになりました。
マリーが
蹄葉炎に冒されていると気づきました。
蹄葉炎は治りません。
それでも
ええ感じで暑い夏も越し
『このまま
この梨園におればええ』
・・・と思っていた
2011年12月
時の政権
民主党内の衆議院議員の中に
《マリーを実験動物に回したいヤツ》
・・・が現れました。
今さら・・・
今さら殺すの???
なんの実験?
なんの意味があって?
おかしい日本!
おかしい政治家!
そいつらは
1期生2期生のぺ〜ぺ〜議員
政治家とも呼べないぐらい
頭の悪い勘違い野郎!
・・・だけど
・・・だけど
時の政権は
とてつもなく強く
結局は
農水官僚たちも動き
マリーの引き渡し日が
決まってしまいました。
私は考えに考えて
作戦を立てました。
そして
《引き渡し》の2日前
マリーは
犬猫みなしご救援隊
栃木拠点にやって来ました♪
仮にマリーが
被爆していたとしても
マリーが死ぬ日は
マリーが決めるんじゃ!
な〜んて
カッコいいことを言っても
私は時の政権
与党民主党に歯向かったわけだから
そうそう簡単には
許しちゃ〜もらえんですよね(笑)
広島の
田舎のオバチャンの前には
いろんな人が現れて
映画が1本撮れるぐらい
攻められました(笑)
・・・が
私には
ヒマな政治屋の思惑に
左右されているヒマはなく
福島原発エリアには
まだまだ
助け出すべき犬や猫は
たくさんいたし
マリーのヒヅメも気になるし
すぐに美濃輪先生に
レントゲンを撮ってもらいました。
ヒヅメが伸び切っていた
マリーは
やはり蹄葉炎だと診断され
やはり治らない・・・と
8年間
削蹄師の佐藤さんには
本当に
お世話になりました。
暴れ馬のマリーのために
広島本部にも
通って来てもらってましたもんねぇ・・・
マリーは
山羊たちのお姉さん的存在でね
山羊たちには優しかったです。
農水省も毎年
チェックに来てました。
農水省が
チェックに来ていたのは
線量が高い場所にいた
マリーの
身体の変化が知りたかったから
・・・ではなく
私がマリーを
《馬肉》として売らないように
見張ることが目的だったのです(笑)
それは
それは
ご苦労なこっちゃ!
マリーの体から
放射線物質が放出されたのは
栃木拠点に来て
わすが1ヶ月のことでした♪
圏内から連れ出して
たった1ヶ月で
体内から
放射線物質が放出されるなら
圏内にいた大動物たちも
全員そうすれば良かった!
まったく
殺す必要はなかったじゃん!
バカすぎる!
当時の民主党の政治屋たち
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
マリーにも
死が近づいてきました。
今しかない!
・・・と思い
マリーを
環境のよい栃木拠点に
連れて帰りました。
もちろん
山羊たちもみんな一緒に・・・
食べても太らなくなり
持ちこたえてきた
蹄葉炎も悪化し始めました。
それでも
マリーは死ぬ日まで
自分のチカラで生き抜きました。
2019年9月23日
マリー永眠
私と田原くんは
新幹線で
広島本部から駆けつけました。
その日の夜は
大きな月が出ていました。
本来なら
寂しくて寂しくて
しかたのない夜でしたが
私は
それどころじゃない状況
生後2ヶ月の
ひろしです。
目を離すと大変!
ちょうど
今の猫舎を建設中で
新幹線の私たちには
みなしごバスもなく
栃木拠点の倉庫で寝ました。
あの時は
ひろしに救われたなぁ・・・
あの時
ひろしが居なかったら
私はマリーの死に
押し潰されていたかも知れん
今日も今日とて
かわいいひろし
今日は延岡でTNR一斉
ひろしにとっては
凱旋帰郷♪
まさか
それにしても、あの時みんなで避難すれば良かったのに
人も動物も
臭いものにはフタをする、日本も中国の事を悪く言えない
生かす事、助ける事、いろいろ考えて前向きにやる事を放棄するよね、日本は
めんどうくさいだけじゃんっていつも思う事、多いです