今年のお盆も
終わりましたね・・・
先立った子たちを
迎え入れる《迎え火》は
まだ明るいうちに始めますが
先立った子たちを
見送る《送り火》は
できるだけ一緒にいたいので
よいよ8月16日の
最後の最後に行いました。
寂しがりで小さいんです・・・
私・・・
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例年
お盆は暑くて
いろんなものが
モタナイですが
今年のお盆は
雨ばかりで寒かったので

精霊馬も精霊牛も
しっかり立ったまんま
供花を生けるときに
折れてしまい
小鉢にもさせない
小さな菊の花も
同じ姿を保ち続けてくれました。

千手観音さまのところの
供花も元気だし

お供えの野菜も
果物だって・・・ほら・・・
この通りピンピンで・・・
こ~なると
なんちゃって仏徒の私は
供物の
お焚き上げもしないで
『もったいないから
みんなで食べようか・・・
これもある意味
現世利益(げんぜりやく)だし』
・・・と
都合のいい考えを起こします。
15年以上前の話
営んでいた飲み屋をたたんで
『亡くなった動物たちのために
供養する坊さんになる!』
な~んて
大口を叩いたけれど
結果
高野山大学大学院を中退し
復学する気もなく
今に至る私・・・
どこまでいっても
その程度の人間じゃな・・・と
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福島原発
犬猫救援活動
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2011年3月の終わり
福島原発エリアに
取り残された
犬猫を救出するために借りた
最初のベース
福島県玉川村にある
玉川ペット霊園
ここには
福島原発被災動物も含め
栃木拠点内に納骨堂を
建立するまでの10年の間に
先立ったうちの子たちが
大勢眠っています。
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その玉川ペット霊園に
今回は
予定外な感じで行きました。
私ひとりが
車を運転して行くのは
何年ぶりじゃろう・・・
いつも
《運転手T》が運転するしね・・・

『えぇぇぇ・・・
こんなに
細い道じゃったかいね?』
普通車でも
えんらやっとのこの狭い坂道を
2011年当時
《運転手T》は
マイクロバスで上がっていた・・・
もしかして・・・
ヤツは
運転がうまいのか?
な~んて思いながら
坂道を上がっていきました。

私たちがここを
ベースとして借りていたころは
この観音さまは
東北太平洋沖地震で
倒れたままでした。
ここに来ると
私の頭の中には
いろんなことが
走馬灯のようによみがえります。
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今回
ここに来た理由
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2011年4月22日
時の政府(菅直人内閣)によって
福島原発20㎞圏内の町は
すべて
何人たりとも入れない
警戒区域に指定されました。
放射線物質が飛び交い危険だ
・・・と言う割には
放射線物質が
どこに飛ぶかの予測も立てず
ただただコンパスで
20㎞の円を描いた範囲
そんなズサンな計画のまま
そこは
誰もが入ることができない
警戒区域となったのです。
そして
その町の住民たちは
アもウもなく強制避難
そこで飼われていた
犬猫などの生き物は
・・・置いてきぼり
『そりゃ~おかしいじゃろ?』
・・・と思った私は
すべて自己責任
・・・ということで
当時の
政府の決めたことには
一切従わず
その町の動物たちを
1年9ヶ月間
救出し続けました。
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2011年6月
住民が避難して3ヶ月
残された動物たちは
生死のボーダーを越え
状態の悪い子が増え始め
一方では
仔犬・子猫が生まれ始め
連れ出しても
連れ出しても
連れ出すべき命は
わらわらいました。
プラス
救出依頼は毎日
数百件単位で入っていて
「うちの子はまだか?
まだ見つからないのか?」
・・・と責められ
ど~にもならん感じ・・・
そんな時
多くの人から
福島原発20㎞圏内の
楢葉町に
置きざりにされている
猫を助け出してほしい
・・・と
写真が送られて来ました。
『またその猫の話?』
うんざりするほど
送られて来ました・・・
みんなが騒ぐ理由は
《飼い主さんが全盲だから》
全盲の猫が
置きざりにされているなら
すぐさま向かうけど
飼い主が全盲って
私には関係ないし・・・
そもそも
全盲の飼い主が
撮ったという写真も怪しいし・・・
『私には他にも
助け出さなきゃならん子が
山のようにおる・・・
そんなに助けたいのなら
自分で楢葉に行けばええ』
依頼を聞く気がない私に
当時
私の右腕だったカオリンが
ど~しても助けてほしい
・・・と言うので
『第三者じゃなく
飼い主本人に電話させろ』
・・・と
それで
本人から電話がかかり
いろいろ話をして
ひねくれ者の私も納得して
無事救出して
無事お返しして・・・
それからは
電話連絡を取り合う仲になり
情報は常に
交換し合っていました。
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2019年
猫のために購入した家に
行ったとき

抱いているのは
飼い主の恵美子さん
抱かれているのが
2011年6月に
楢葉町から連れ出した
みゆちゃん
このとき14歳

外の空気を味わえるよう
部屋の外に猫縁側
大工さんに頼んで
こしらえてもらったんだそう
自撮りしよう
・・・ってことになり
残す顔でもない2人が
写真を残してみた(笑)

帰り際
振り返ってくれたみゆ
これがみゆと私の
今生の別れとなりました。

今年のお正月の
みゆ
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みゆ
16歳の誕生日を迎えた後の
2021年8月15日
老衰のため
ちょっとお先に
この世を去りました。
合掌
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前から
恵美子さんと話していた通り
みゆは
玉川ペット霊園で
火葬することにしました。
ここがなかったら
私の福島での活動はない・・・
・・・ということは
みゆは楢葉で
あのままだったかも知れん・・・
みゆは福島から
私は栃木から
玉川ペット霊園の礼拝堂で
対面しました。

火葬前の
最期のお別れです。
私はなんちゃって仏徒
恵美子さんは
敬虔なるクリスチャン
こ~ゆ~ときに
信仰心があれば救われます。
取り乱すこともなく
ちゃんとお別れができました。
みゆは
あれから10年も生きてくれたし
話を聞くと
最期も安らかだったし・・・
私にとっては願ったり・・・
・・・じゅうぶん
孝行してくれました。

みゆの火葬が終わるまで
霊園内を散策しながら
積もる話をしました。
《ご縁》って不思議ですねぇ・・・
生まれも育ちも
全く違う人間同士が
原発事故と言う
未曾有の出来事によって
知り合って
家族みたいに
仲良くなるなんてね・・・

観音さまの前に立ち
10年前のお礼と・・・

私はあの時の約束を
守っているかな・・・
・・・と反省しました。
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霊園の周りで
草むしりをしていた大森さんが
「中谷さ~~ん!
あの時のクイが残ってたよ」
・・・と
福島原発20㎞圏内から
連れ出した犬を
つないでいたクイです。
『マジ??』
2011年3月
この霊園のあちこちに
このクイを打って
福島原発20㎞圏内のから
連れ出した犬を
ずらァ~~~ッと
並べていました。
毎日毎日
何十匹も連れ出して
毎日毎日
南関東から来てくれる
預かりさんに託し
その繰り返しの日々でした・・・
私の原点です。
私の歴史の始まりのクイです。
まさか
みゆの火葬に立ち会って
そのクイを見るなんてね・・・
ヨシ!
私もまだ頑張るけん!
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いろんな思いを胸に
栃木拠点に帰ると

おやつ待ち♪
平和じゃのぅ・・・
今日は
焼きかつおパーティーみたいよ

おやつも食べ
ずいぶんと落ち着いたあと

ふと見ると・・・
コラコラ!
またココアが出とる!

骨折治療中の子猫
ココアです。
もう少ししたら
子猫部屋に帰って
ケージレストですって!
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私は明日
広島に帰ります。
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2022年度
犬猫みなしご救援隊
賛助会員募集
お申込みは下記からか
直接お電話で
082-812-3745
080-3522-3745
応援/支援のお願い | NPO法人 犬猫みなしご救援隊 – 公式サイト – (minashigo.jp)






冒頭から泣きました。
我が家も2匹の犬を看取りました。
震災後、釜石から引き取ったダックスは孫にも寄り添って子守りの手伝いをしてくれました。
震災から動物保護活動も勉強させていただき、色々な団体があり、それぞれの考えのもと、活動されていることを知りました。
そんな中でも中谷さんの活動は本当に筋の通った活動をされていると感激しております。
動物たちにとって中谷さんは「観音様」のような存在ですね。
岩手の空から応援しております!