私と田原君は

一昨日(9月23日)
最終の新幹線で栃木拠点に行き

翌朝の昨日(9月24日)
やるべきことをやり遂げて

夜9時
広島本部に戻って来ました。

まずは

うちの大型ポニーのマリーのことを
知ってください。


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マリーは
福島第一原発のすぐそばにある

大熊町の梨園で暮らしていました。

私とマリーの出会いは
2011年4月の初め

大熊町の翔陽高校あたりにいた放浪犬を
追いかけていたときです。

当時
福島原発20km圏内には

相馬野馬追で使うサラブレットや
それに寄り添うポニーなど

普通の町にはいないぐらいの馬が
住民たちが避難した町に残されていたので

馬がいる光景が
そんなに珍しくもなかったし

当時の私は

放浪犬を保護することで手一杯の状態で
馬を連れ出す術も知恵もなかったので

そこで生きられるなら・・・と思いながら
生活条件が合えばそのままにしていました。

※※その後
相馬野馬追の馬たちは連れ出された。

マリーの場合は
マリーがいた梨園を見渡したところ

飲み水の確保が難しそうだったので

飲み水とチモシーを持って
通うようになったのです。

その後

《時の政府》は福島原発20km圏内を
警戒区域に指定し

なんびとたりとも
《そこに入れない》ようにしました。

・・・が

この世には
ありがたい《ご縁》というものがあって

そのご縁によって私たちは
正規の入所許可証を持つことができ

私たちは1年9ヶ月もの間
コツコツと保護を続けられたわけです。


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その当時のマリーについての記録と
その時の《私の気持ち》です。


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2011年当時

犬猫など愛玩動物の小動物系は

私たちでも20km圏内から
圏外に連れ出すことができましたが

馬・牛・豚などの
産業動物である家畜類
大動物系は一切連れ出ませんでした。

お金を産まない産業動物は要らん
《家畜は全頭処分》

これが時の政府
民主党の打ち出した《国の決定事》でした。

日本国は
大動物のためには何もしません。

当然マリーにも・・・


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父の名は[田村]
母の名は[やままり]

マリーは
福島県内の生産牧場で生まれ

まだ乳のみ子だった生後9ヶ月の時

家庭用の愛玩動物として
この梨園へやって来ました。

※マリーが若い(笑)


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それから十数年
マリーは

この広い広い梨園で働く
ひょうきんなお父さんと

しっかり者のお母さんのそばで
何不自由なく暮らしていました。

2011年3月11日の
あの地震が起きて津波が来て

福島第一原子力発電所が
爆発するまでは・・・

※田原君も若い(笑)



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馬という生き物
ただそれだけの理由でマリーは

人が住めなくなった町から
出られなくなり

削蹄されていなかったヒヅメは
さらに伸び放題となり

私が初めて見たときから
マリーはうまく歩かれない状態でした。



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ここまで蹄が伸びると
代わりに底の部分ばかりが削られていき

蹄の下から骨が出てきます。

マリーはそういう状態で
痛くてうまく歩けなくなっていました。

なのに
日本国は助けようともせん!

そればかりか

マリーを被ばく馬の実験動物として
売り飛ばそうとしていた議員まで出る始末




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私は・・・

こままだと
確実に殺されてしまうマリーに

とってもよい方法を教えました。

『マリー!!

空を飛んで
ウチの栃木拠点までおいで

ウチには
いろ~んな仲間がいっぱいおるし

きっと楽しいと思うよ♪』



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私の呪文に騙されたのか
マリーは

2011年12月

空を飛んで
栃木拠点へ来ちゃいました♪

その後
その議員の手下から

「馬が空を飛ぶか!」・・・と
ひどく怒られましたが

そんなこと言われても

《私は》
マリーが空を飛んだと信じとるので



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すぐに佐藤装蹄師さんに
ヒヅメの手入をしてもらい

栃木県県北家畜保健衛生所に
届け出を出しました。

佐藤さんも若い(笑)



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初めて削蹄してもらったときの
マリーの足です。

今この写真を見ると

最初から右前足は
曲がっていたんですねぇ・・・

このとき
ヒヅメをきってもらったお蔭で

足の痛みがずいぶん取れたマリーは
機敏に動けるようになり

蹴るようになりました。

咬みくせは前からあったようで

咬まれない方法を
飼い主のお父さんから教わりました。

「中谷さん
マリーが咬んだらこう言いいな

コラッ!マリー!
もっと優しく咬め!」





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落ち着いたころ
美濃輪先生にレントゲンを撮ってもらい

今後の
治療方針を決めました。

このころは
元気になったマリーから

毎日のように誰かが
噛まれて蹴られて楽しかったですねぇ♪



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2011年12月14日

栃木県県北家畜保健衛生所の
職員さんがやって来ました。

そこで

マリーの所在確認と

馬伝染性貧血ウィルスの検査について
教えてもらいました。

今現在は

この《馬伝染性貧血ウィルス》は
なくなったということで

検査そのものもなくなりましたが

当時は
この伝貧検査は義務化されており

この伝貧検査をして初めて
畜主として認められていたのです。

犬の狂犬病予防接種と
それにともなう畜犬登録みたいなものです。





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この後ほどなく

マリーの伝貧の検査日が決まりました。
2012年1月25日です。



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ここまでは滞りなく
すべてうまいこと進んでいったのですが

この時期あたりから

マリーを実験動物として
大学と企業に売るつもりだった

2011年時の与党である
民主党の衆議院議員から圧力がかかり

私はグイグイと
追い込まれていくのです・・・

・・・と

こんな風に私は
自分のことを被害者的に言ってますけど

この議員がマリーを売り飛ばす
ギリ2日前に

マリーが空を飛んで
うちに来たってことは

マリーを保護した私の方が
議員に対して宣戦布告をしたわけで

そこから来る圧力は
想定内ってことなんですがね♪



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マリーの伝貧検査を
一週間後にひかえたとき

栃木県県北家畜保健衛生所から

「1月25日は検査ができないし
新たな検査日の予定も立たない」

・・・と電話がありました。

私は『来た!』・・・と思いました。



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・・・というのも

とある学識経験者から

「原発問題は
利権がからんでいるから

議員とモメたとなると・・・
行く手はかなり険しいと思う

くじけないで戦ってくださいね」
・・・と言われていたのです。

当時の私は青すぎて

世の中のしくみが
よくわかっていなかったので

『なんだそれ?』
・・・って流していましたが




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年が明けた2012年1月

栃木県県北家畜保健衛生所より
ひとつ上の機関の

栃木県農政部畜産振興課から
電話がありました。

「農林水産省から質問が来ているので
それにお答えください」

マリーの検査もしてくれんのに
偉そうになんじゃ~言うんや!

モノの言い方というかなんというか
最初から『カチン!』ときていた私は

『聞きたいことがあるんなら
農水省の人が直接電話すべきです』

私は栃木県農政部畜産振興課には
何も答えず電話を切りました。

世の中は

聞きたい人が
聞きたい人に

聞きたいことを
聞くべき

中間に誰かが入ると
話がズレる可能性があるしね




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再び

栃木県農政部畜産振興課の人から
電話がありました。

今度は

「マリーちゃんの伝貧検査の日程や
他にも《諸々》お尋ねしたいこともあるので

そちらに
お伺いしてもよろしいでしょうか」

・・・とのこと

おそらく栃木県の農政部としては
電話ではラチが開かんので

直接訪問する方向へ
シフトチェンジしたのでしょうね♪




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栃木県農政部畜産振興課の人が
栃木拠点に来ました。

この写真を見ると

当時からフィールド内を
自由にしている犬がいたんだな・・・と

私は犬をつないで飼うことが
とにかく嫌いなんでね

あぁ・・・そうそう・・・

質問されたことは

「マリーはどこから来たか?」

「飼い主は知っているのか?」

「誰が連れ出したのか?」

「いつ連れ出したのか?」

「どうやって連れ出したのか?」

これはマリーを保護してから
いろんな関係機関から

何度も何度も
何度も何度も聞かれた内容でした。

それにしても

栃木県農政部畜産振興課なら
他に聞くことあるでしょうに・・・

例えば
マリーの年齢とか病歴とか

震災前は

ワクチンは打っていたのかとか
家畜伝染病の検査をしていたかとか

そんなことはまったく聞かず・・・・(笑)

あまりに質問内容がお粗末で
《哀れに思った》ので逆に質問しました。





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『マリーの伝貧検査が1月25日に
できなかった理由は何?

今後の検査日程が組めない理由は何?』

ここで
仰天の答えが返って来ました。

「検査については

栃木県県北家畜保健衛生所に聞かねべば
わかりませんねぇ」

えぇえぇぇぇぇ・・・

栃木県県北家畜保健衛生所の

【上の機関】である
栃木県農政部畜産振興課が

知らないの???

じゃあ
栃木県県北家畜保健衛生所が

《勝手に》検査日を引き延ばし
《勝手に》検査日を未定にしてるの?

『トカゲのシッポを切った!』
私はそう思いました。

お役人ってスゴいですねぇ~

なんでも下の者のせいにして
自分は生き残るつもりなんですねぇ~

私が生きてきた世界では
責任は上の者がとるもので

《下の者を売る》《下の者を切る》とか
絶対にありえんことです。




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馬伝染性貧血ウィルスの検査は
農林水産省の管轄だそうです。

マリーは
伝貧検査もしてもらえず

マリーは
所在すら認めてもらえない・・・

そうか・・・やっぱり私の敵は
農林水産省だったのか



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宮崎県で口蹄疫が流行した時
近くの保育園で飼育されていた羊が

「羊にもヒヅメがあるから」

ただ・・・それだけの理由で
殺処分されました。

口蹄疫に感染しているか否かの
検査も受けさせてもらえないまま


羊は意味なく殺されました。

それと同じです・・・




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私は

マリーをどこへも渡さないし
マリーを殺させない

マリーは
何ひとつ悪いことをしていないしね




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農水省から「行ってこい」
・・・と言われてやって来て

私と記念写真まで撮られた
栃木県の偉い人たち
(写真掲載は本人から了承済み)

この写真を見てもわかるように
何気に私はチビです。

こんなチビな女を相手に
さぞご立派なダイの男が

何をそこまで
目くじら立てる必要があるんでしょうねぇ・・・

マリーを渡さないことで
この後さらに圧力がかかり

いろんな関係省庁の偉い人たちが
私を問い詰めに来ましたが

頭の悪い私は
そんなことはどこ吹く風

私もマリーも栃木拠点で
楽しい日々を過ごしていきました。




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そして2ヶ月後
なにがど~なって話が前に進んだのか

マリーは伝貧検査を受けることができ
私はマリーの畜主となりました。

私が畜主となった以上は
私がハンコを捺さない限り

何があっても
マリーは処分されないのです♪



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法律通りの
当たり前の伝貧検査でしたが

手間取った分

私にとっては
とっても嬉しいことでしたよ♪


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マリーは約1年
栃木拠点で暮らしましたが

2012年12月8日

当時残っていた320匹の犬猫とともに
マリーも

広島本部へお引越しすることになりました。



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大動物の乾草と敷き藁

広島市内には売ってないので
一ヶ月分ほど買い占めて



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冷凍コンテナ3機&スーパーハウス3戸も
同時に持って帰りました。


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栃木拠点から広島本部まで1100km
出発は夜7時前後

休憩場所は蓮田SA(軽自給油)
駿河湾沼津SA
美合PA(いぬ親さんへ引渡し)
三木SA(給油)
小谷SA(時間調整)



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馬運車での移動
12月は寒いです・・・

風邪をひかんために
マリーに馬着を新調しました。



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もちろん
ヤギたちにも新調しましたよ



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佐良直美先生のお骨折りのお蔭で
馬運車が定刻に到着


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栃木拠点
最後の集合写真

こんなに多くの人たちが
引っ越しを手伝ってくれたんですねぇ・・・

そりゃ~そ~ですよね
320もの命を運ぶわけだから

それにしても
ありがたいことですねぇ・・・




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広島に引っ越してからは
少しの間《仮の》馬房で暮らしました。



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こんな暴れ馬のマリーでしたが

栃木拠点にいたころと変わらず
佐藤装蹄師さんに広島まで来てもらって

削蹄してもらい

とっても親切に
よく見てもらっていましたが

マリーを保護して8年の月日が流れ

マリーも年も取り
足の状態は悪くなる一方で

広島の夏は暑いし

『今年の夏は越せんかも』
・・・と思うようになりました。


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今年の4月
佐藤装蹄師さんに相談しながら

『最後のチャンス』として

私はマリー&山羊たちを
栃木拠点へ戻す計画を立てました。



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マリー最後の《広島でのおやつ》は


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熊本の安達さんから送られて来た
初物のスイカでした。



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夏も涼しい
栃木拠点の雑木林を整備して

マリーを迎える準備を整えました。


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マリー
再び栃木拠点に戻ってきた夜

到着後すぐにチモシーを食べたり
すこぶるご機嫌だったので

移送が大成功したことを
私は心から喜びました。


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栃木拠点では

美濃輪先生と
今後の治療方針を決めました。

私の気持ちは決まっていました。

『マリーが毎日
幸せならそれでええです』

マリーがうちに来た2011年からずっと

私は
マリーを幸せにしたい一心で

それは
ゆるぎないですから


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マリーの右前足は
大きく曲がってきていて

このまま立てなくなったら
馬は皮膚が弱くて

簡単に褥瘡ができて
簡単に爆発してしまうから

体を支えるハーネス系も使えないし・・・

馬にとって
《寝たきりは地獄》なのです。




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足が悪くなるのと並行して
マリーはどんどん痩せて来ました。

不安な私は
長野の佐久の原口さんに相談しました。

原口さんが「いいと思うよ」
・・・とおっしゃることはなんでもやりました。

そのために

近所の蓮実牧場のお姉ちゃんにも
いろいろとお世話になりました。


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9月23日の朝
栃木拠点の菊地から電話がありました。

「マリーちゃんの呼吸がおかしいです」

即座に私は判断しました。
『何もしないで静かにさせて・・・』

「栃木は雨が降ってます。
マリーのところも少し雨がかかっています」

『それでもまだマリーを移動させないで』

横たわるマリーが濡れないように
菊地は傘を立てました。

最期の最期に

私たちがマリーに
《してあげられること》はそ~ゆ~ことです。

医療針を何本も刺して
管につなげて生かし続けるのではなく

雨に濡れないように傘をさしだすこと・・・


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その後
公休日で自宅にいた瀬尾が駆けつけ

意識が遠のき始めたマリーを
みんなで移動させました。

私は栃木拠点に行くために
いろいろと準備に入りました。

そのとき田原君は

前夜の台風で
一部弱っていた屋根を直していました。

『それが終わったら予定を変えて
栃木拠点に行けるようにして!』

マリーを診てくださっていた
美濃輪獣医に電話をしました。

『マリーの呼吸が乱れました。

・・・ですが私は
もう・・・静かにさせる決断をしました。

長いことマリーを診てくださって
本当にありがとうございました』

装蹄師の佐藤さんに電話をしました。

『マリーの呼吸が乱れました。

ですが私は
もう・・・静かにさせる決断をしました。

長いことマリーの爪を削ってくださって
本当にありがとうございました』

そして

マリーの元の畜主の藤森さんに
電話をしました。

『マリーの呼吸が乱れました。

ですが私は
もう・・・静かにさせる決断をしました。

こんなことになり
チカラ及ばず申し訳ありません』

5年ぶりですかね・・・

藤森さんと奥さんと長い時間
話をしました。

「あのとき
中谷さんがマリーを助けてくれなかったら

マリーは
とっくに死んでいるんだよ

あのときは大熊町も福島県も
どんなに頼んだって

誰もマリーを
連れ出してくれなかったんだから」



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9月23日

最終の新幹線で
栃木拠点に到着した夜中の12時すぎ

空の低いところに
大きな大きな三日月が出ていました。

私は三日月に言いました。

『私はマリーの最期には
立ち会えなかったけれど

私とマリーの関係は
そんなもんじゃないので

これでヨシじゃ!』



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翌朝
私はマリーに会いに行きました。



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私の想像よりもはるかに
マリーの体は小さくなっていました。


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今年の春に
この雑木林を整備しながら

『ここがいいな』と思っていたところに

田原君が
マリーを埋葬するための穴を掘っていました。

同じところを選んだんじゃ(笑)

私たち・・・
また気が合ったんか??(笑)




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この木の幹にある傷は

2011年に建てたマリー小屋の屋根が
当たっていたところです。

マリー小屋を壊すまでの3年の間に
木が成長して

マリー小屋の屋根を飲み込んだ傷です。

思い出は
そこらじゅうにあります。




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私はマリーのタテガミを

マリーゆかりの人たちに渡そう!
・・・と思い

タテガミを全部バッサリと切りました。



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タテガミを全部切ったつもりだったけど
洗ってとかして干したら

あれ・・・これだけ?
そんなハズがないじゃん

キツネにつままれたような話ですが

もしかしたら
タテガミを全部切ろうとしていた欲深い私を

「無欲でいけ!」
・・・とマリーが止めたのかなぁ

切ったハズのタテガミが・・・
なんで・・・これだけしかないのか

いまだに・・・私はわからん・・・




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菊地が撮っていた前日のマリー

最期まで食べれて・・・

最期まで
自分の足で立ててよかった・・・

これこそがまさに
私が望んでいたマリーの最期です。

中谷マリー
2019年9月23日10時40分・永眠

長いこと
マリーを応援していただき

本当にありがとうございました。
合掌