私にとって
懐かしい写真は
いっぱいあるのですが
写真集
‘鼓動’は
‘鼓動’で
発信する
意義があり
このブログは
このブログなりに
いろいろ
発信していきたいので
おばちゃんも
『どの写真を
載せよう』
・・・って
いろいろ
考えるわけですよ。
しかも
世の中に
発信した以上
私には
責任が
かかってきますからね
昨日
私が書いた
【乳牛の悲劇】に
多くの人が涙し
多くの人が
これまでの
間違いに
気づいてくれたようで
ありがとうございます。
このブログの
読者が
素直な人たちで
よかった
心から
そう思っています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
世の中
いろんな意見があって
動物愛護に
関して
少し厳しいことを
書いたり
‘乳牛の悲劇’
・・・のような
畜産動物のことを
書くと
決まって
「じゃあ
中谷さんは
肉は
食べないんですね
菜食主義ですね」
・・・などと
飛躍したことを
言う人が現れます。
私は
何でも食べます。
私は
仏徒ですが
何でも食べます。
‘今の私’の
観念では
好き嫌いせず
残さず
感謝して
いただく
これが
‘私にできる’
他の命に対する
礼だと
思うからです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私たちは
この世に
‘ヒト’として
生まれてきました。
ヒトは
神様や仏様では
ないので
間違いを
いっぱい起こします。
それでも
ええんです。
ただ
間違いに
気づいた後が
肝心
しっかり
反省して
同じ間違いを
二度と
繰り返さない
この努力が
必要なのです。
‘自我’を
通すために
間違いに
‘知らんぷり’をする
これでは
ダメです。
そう思うでしょ
客観的に見て
素直に謝って
出直す人と
それでも
頑固に
そっぽ向く人
どっちと
仲良くしたいですか?
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
な~んてね
実は
そんなこんなを
ここに書きながら
私は私に
言い聞かせとるんですよ。
それでも
いっこうに
減らない
煩悩の数
実は
昨日の朝も
これ
‘ちょきんぎょ’じゃん
私は
この‘ちょきんぎょ’が
大好きで
‘ちょきんぎょ’
グッズを
使えずにいたりするのに
普通に
使われた!!
あぁぁ・・・
ダメじゃん・・・・
息子よ!
踏んじゃダメじゃん
‘ちょきんぎょ’が
汚れるじゃん
そんなことを
【本気で】
思うのです。
こんな人間
どうしましょうねぇ・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
中谷写真集
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
4月1日
南相馬市
小高区で
津波に
流されたけど
たどり着いたという
犬を
保護しました。
(近所の大内さんの話)
黒い体に
潮の結晶が
白く
こびりついていました。
このままでは
痒くなると
思ったので
すぐに
ポリタンクの水をかけ
水洗いしました。
この子には
相棒がいました。
私たちが
保護するまでは
仲良かったそうですが
どうも
ケンカするので
昼過ぎには
引き離しましたが・・・
この子が
元・相棒の
キャメル君です。
この夜
この子は
私たちと一緒に
みなしごバスで
寝泊りしたため
翌夜
東京港区から
フェリーに乗り
伊豆大島へ・・・
この後
保護依頼の
犬を迎えに
大熊町へ行き
その途中で
多くの
放浪犬を
見てしまい
その度に
配餌していたら
みなしごバスの
犬用フードは
あっという間に
なくなり
午後からは
猫用フードに
切り替えた
記憶があります。
これが当時の
中谷仕様
犬たちは
ほとんどが
痩せていたので
私は元々
猫用フードを
与えたかったので
これで
ヨシ!です。
こんなものを
撮るぐらい
4月1日当時の
私には
余裕があったのだと
思います。
日増しに
写真が
少なくなっていき
4月21日
最後の日なんか
1枚も
ないですからね
それどころじゃ
なかったのでしょうね・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
当時
町も道も
何にも知らない
私たちには
‘お蔭犬’
・・・という犬が
いろんなところに
おりました。
葛尾村
50号線の
‘お蔭犬’は
マロンちゃんです。
「人には
馴れね~から
エサだけ
やってもらえたら」
・・・という
依頼で
3月末から
マロン宅へ通い
その度に
新しい犬を
発見する。
その度に
配餌場が
増えていく。
だから
マロンは
葛尾50号線の
‘お蔭犬’
マロンは
4月21日
最後の日
飼い主さんの
手によって
無事
連れ出されました。
マロンの家は
検問から
わずかに
200m【外】
絶好の場所
その日
私は
マロンを
迎えに来た
飼い主さんから
この家を貸りて
圏内の犬を
この家へ
連れ出したのです。
検問200m外の
この家を
拠点にできたことで
ピストン輸送の
時間が
素晴らしく短縮され
予想以上の
連れ出しができたのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
マロンの
お蔭をもらって
配餌グループに
入った
葛尾っ子は
たくさんいますが
その中には
思い出すのも
つらい子もおります。
でも
これも現実です。
臆病だけど
とっても良い子で
この子の家は
警戒区域外
飼い主さんも
通えますし
敷地内からは
出ないし
何の
問題もなかったのに
世の中に
‘置き去り犬’や
‘放浪犬’のことが
知れ渡ってしまうと
たちまち
誰かに
連れて行かれて
しまいました。
この当時は
(4月後半~5月)
「今日は
仕事が
休みだから
福島に
保護に行くか」
・・・みたいな
軽い考えで
やって来る
‘休日愛護家’が
多かったのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
さらに
つらい写真です。
マロンから
お蔭をもらって
3月末から
私たちが
育てていた
チャコとチビの
母娘です。
チャコ母娘は
鍵のかかった
犬舎の中で
暮らしていました。
犬舎の床は
土で
屋根もあり
母屋と倉庫の
間で
人目に
つきにくいところ
だったのですが
チャコが
車の音が
聞こえたら
チビを
守ために
必ず
吠えるもんで
黙々と
配餌活動のみを
行なっている
個人ボラさんたちにも
知られていました。
私たちは
気の弱いチャコに
ストレスを
与えないように
そっと鍵を開け
細くなって
犬舎に入り
静かに
掃除して
帰っていました。
これほどまでに
そっくりで
かわいらしい
母娘は
他に
例がない
私は今でも
そう思います。
柵に
ピントが合って
チャコ母娘が
ボケて
残念です。
チャコは
私たちが用意した餌を
たらふく食べると
決まって
「もう用はない
帰れ!」
・・・と言います。
それもまた
かわいくて
私たちは
喜んで帰っていました。
チャコの家も
警戒区域【外】
誰でも世話できる
場所
なのに
何を先走ったのか
ある日
誰かが
犬舎の鍵を
壊し
犬小屋を
蹴飛ばし
仔犬だけを
連れて行きました。
飼い主さんの
落胆ぶりは
相当で
泣きながら話す
飼い主さんの
言葉がわからず
『私たちが
ちゃんと
世話していたのだから
連れて行かれる
ハズがない!
何かの
間違いだ!』
そう思って
見に行きました。
そして
言葉を
失いました。
犬小屋には
運動靴のあとが
くっきり残り
ひっくり返って
転がっていました。
おそらく
チビは
犬小屋の奥に入り
チャコが
犬小屋の入口に
立って
吠えて威嚇して
どうにもならなかった
・・・のでしょう。
小屋で
縮こまる
チャコ母娘の
姿を想像すると
『絶対に
許せん!』
当時の私は
怒り狂いました。
飼い主さんは
置き去りにしたんじゃない
あの家は
急いで
連れ出す必要のない場所
仔犬がいても
それは犬舎で
母犬と一緒
食べ物も
ふんだんにある
よく見て
よく考えて!
犬舎に
数日分の糞しか
なかったら
それは
世話されている
証拠でしょう。
それを
たまたまだと
思うなら
せめて
一週間は通って
自分の目で
見てください。
時に
動物愛護は
【目先のことだけで動くと】
間違った結果を
生むことがあります。
何をもって
「かわいそう!」
・・・と言うのか
あくまで
私たちは
人間で
相手は動物
主観だけで
騒がずに
今一度
時間をかけて
その子
その子のことを
‘犬’とか
‘猫’とかでなく
個体別に
性質を踏まえて
よく考えてください。
‘置き去り’
・・・と言えば
かわいそうなだけの
薄っぺらい
感情に
なっちゃいますが
現実は
生まれ育った家に
‘残っていたい子’も
たくさん
いるのです。
保護施設を
作って
保護活動を
行なっている
私が
言うのは
とっても
おかしなことですが
私は
私の家で
死にたいです。
・・・だから
栃木拠点は
‘我が家’以上の
環境を
・・・と思い
日々
進化させているのです。
これは
決して
ぜいたくなことでは
ありません。
私たち
動物愛護家の
責任なのです。